湯治場 分湯 湯戸

古きより大湯を中心に発展してきた熱海は、相模湾に浮かぶ初島を視点とし湯治場とし、戦国時代より徐々に町としての形を成してきました。
大湯を祀る湯前神社を起点として、初島に向けて本道町通りがつくられ湯宿が形成され、江戸時代にみられる熱海温泉町の景観が構成されました。
本道町通りには二階建ての湯戸建築が軒を連ね、熱海村中心部の景観を大きく特徴付けています。
これらは二階座敷からの眺望を重視しているのが特徴で、海や初島の眺めを大切にしています。
*旧日向家熱海別邸を設計した渡辺仁も建物の配置を初島を正面においた。相模湾に浮かぶ初島の力がうかがえる。)
近世熱海の温泉宿は、多くは大湯から引湯して営業する湯戸(湯宿・湯亭)でした。結果その多くは大湯周辺に密集して立地し賑わっていました。温泉利用は、大湯の温泉宿営業者集団の「湯戸」の本陣である今井家・渡辺家らの名主や村方三役をつとめました。

大湯以外の温泉源は、清左衛門湯・平左衛門湯・風呂の湯・水の湯・野中の湯・佐次郎の湯・河原湯を、「熱海七湯」と呼ばれていました。

 


講座より

2. 新・ほっとふるさと(加藤好一)より