熱海の交通発展史 雨宮敬次郎

苦労の末に勝ち得た交通

熱海は温泉の湯治場として発展してきました。なかでも江戸時代は徳川家康に愛され、歴代の将軍にも愛用され、江戸庶民の人気も上々でした。明治になると新政府の高官、文人墨客、事業家の人気となり賑わいました。このように魅力の地である熱海ですが弱点は、交通の便の悪さでした。その対策にあけくれたという意味で、「熱海の発展は交通の発展の歴史」といえます。馬、籠、から人力車に始まり、その後の人車鉄道→軽便鉄道では雨宮敬次郎が活躍しました。しかし関東大震災により壊滅し、その後1.5年のあいだ、小田原~熱海は公共輸送が皆無となり、大正14年熱海駅が開業まつしかありませんでした。 しかしドン詰まりで先がない熱海更なる発展はありませんでした。当時東西を結ぶ鉄道は、東海道御殿場線でした。しかしこの線は高い標高の箱根峠越なければならないという大きな問題を抱えていました。大正2年に丹奈トンネル事業が決定され大正7年着工し、想像を絶する困難、犠牲を払い予想を超える時間をかけ大正9年12月開通した。これ以降熱海の交通は一気に便利になり、更に昭和39年新幹線か開通するに至り、現在は交通の便が良い代表的な温泉地となった。