泉都熱海けふぞ市位を名乗る
昭和12年4月10日0時
熱海市誕生の合図をしらせる花火が打ち上げられた。
-朝日新聞号外-
昭和12年(1937年)4月10日午前0時、「熱海市」誕生の合図を知らせる花火が打ち上げられました。熱海町と多賀村の合併により市制が施行された。合併に至る前の昭和9年(1934年)に熱海町長となった坂本藤八は、丹那トンネル開通によってもたらされた経済的発展を基に、温泉観光都市建設をめざして熱海に市制を布くための準備を始めた。
熱海町の人口は2万6,961人(うち旅館滞在客7,225人、別荘滞在客1,268人)、多賀村は4,195人、網代町3,607人という結果となりました。市制施行に必要な人口は3万人。今では考えられないことですが、人口という条件に「定住」という規定がないため、熱海に宿泊客が最も多い正月を選んで調査が行われたのでした。
初代熱海市長には樋口修次が選出され、新生熱海の舵取りを行いました。
昭和31年、新しく市長に就任した小松勇次と、網代町長、間瀬康雄により合併問題の推進が確認されました。一部には反対の声はあったものの、市町両当局は賛成の意向が強く、昭和32年2月には静岡県知事の合併勧告が出され、熱海市・網代町はそれぞれ事務手続きを進めることとなりました。
3月19日には網代町の解町式が行われ、昭和32年4月1日、熱海・網代の合併が実現、装いと規模を新たにし、躍進の歩みを踏み出したのです。
889年(明治22年) 熱海村、伊豆山村、泉村、初島が合併して多賀茂ぐ熱海村となる。1891年(明治24年) 熱海村が町制施行して熱海町となる1937年(昭和12年)4月10日 熱海町と多賀村が合併し熱海市が発足1957年(昭和32年)4月1日 - 網代町を編入合併 現・熱海市。 |